浅野輝一・出水徹 二人展
2017.6.26mon〜7.1sat 11:00〜19:00(最終日17:00まで)
◆作家コメント
【制作の原点】 浅野輝一 この度、念願だった出水徹先生との二人展を開催することとなりました。先生とは、30数年前からグループ展や企画展等で作品を並ばせて頂き、その折々に貴重なご意見やご感想を頂いてきました。先生は、現代社会の人間像をユーモアと、ペーソス、そしてアイロニーの精神で深く追い求める作家であると思います。一方、私は身近な市井の人々を「日々の風景」として描いてきました。表現方法は異なりますが、現代社会を見つめる視点に於いて、先生と共通する何かがあることを感じておりました。初期の私の作品は、密室空間に閉じ込められた人間像を描いておりました。例えば電車やバスの中等での人と人との繋がりや、関わり合いの重要性を謳いたかったのです。やがて、それは自分の想いを鑑賞者に押し付けているだけにすぎないと疑問を感じ始めました。そんな折、喜劇王チャップリンの作品と出会い、彼が現代社会をユーモアとペーソスの精神で風刺的に表現していることに強く心を揺り動かされました。そして、自分を含め現代を生きる市井の人々の日々の営みを見つめ、物悲しさや滑稽さを「日々の風景」と題して描くようになりました。しかし、2011年の東日本大震災の想像を絶する被害に接し、人間を見る視点が大きく変わりました。人々はどんな絶望的な状態にあっても、現状を真正面から受け止め、その先にある細やかな夢や希望を信じ、明日に向かって進もうとしています。私はこの魂の叫びのような力強さが、観る人に届くような作品を描かねばならないと思いました。これからも一人の作家として、社会の出来事から目を離さず、「人間愛とは・・」「人間讃歌とは・‥」等を問い続けたいものです。
【二人展に思うこと】 出水徹 二人展は、私にとって特筆すべきイヴェント展である。浅野氏とは何十年来の交友で、画家として共にグループ展を立ち上げたり、議論をたたかわせてきた仲である。人として熱いようで冷たく、冷たいようで熱い間柄であると言える。芸術上のことについては共感することが多く、創造の根底にあるものも同じ方向にあるように思う。今日における人間存在の有り様を原点に、文明に酔いしれる人間の香りや不安、はたまた宿命的な不条理に怯える人間の情景を、フィクションの世界に再構築し、よりリアルな真実を表出しようとする表現志向が、彼の作品から汲み取ることができるのである。彼の作品を初めて見た時の印象は私の心に焼き付いてはなれないイメージであった。文明という名の電車に座する人間群の姿は、ユーモラスなムードを発しながら一人一人孤独感が漂う文明人の不安や宿命、といった想念が浮かんできたのである。まさに芸術の魔力の存在を感じた一瞬であったと記憶している。そのことがあって以降、つねに彼の作品を意識的に注目してきたが、何年経っても表現の内奥にある純なる魂は不変と言ってよいと思う。そのような畏敬し得る彼との二人展、何か心の揺らめきを感じるのである。それは、私の表現上の揺れが、その因となっていると思う。創作にあたって、エスプリとかコンセプトといった観念や概念的なものが先行し、そのカテゴリーの中で納得したものを原点にしてイメージ化したり、人間存在は絶対矛盾の自己統一だとする言語上の魅力に惹かれて表現するような、頭脳で創り上げた作品群が多く、果たして生きている人間の心を掴む真のリアリティさを有しているであろうか。私は、作品のそれは、真実が裏付けされたフィクションの世界から認知されるものであると確信していて、単なる“つくりごと”では人間の実存世界のリアリティさは皆無に等しいのではないかとの認識に立って制作する意識は有しているのだが、いかんせん、単なるフィクションの世界に陥ってしまうのである。そのような作品を二人展に出品することの不安さが心の揺らめきとなっているように思う。芸術は理論や概念、知性の計算を超えた領域に創造の本質があり、人間にとっての真にリアリティのある表現に止揚し得る努力をこの二人展をきっかけに渇望して止まない心境になることを窃かに願うと共に、人生の記念展となることを期待して喜びを内に秘めている次第である。
人間をテーマに2人の巨匠が大作を描きます。何卒、ご高覧いただきますようお願い申し上げます。
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