【作家コメント】「子供たちが教えてくれたこと」
イスラエル軍によるパレスチナガザ地区への攻撃が始まったのが約1年半前。一般人に混じり沢山の子供も犠牲になった。
自分が東日本大震災の被災者だったからだろうか、僕は攻撃で亡くなっていく子供たちのことを他人事として忘れてしまう自分がいやで、犠牲になった子供の数だけ小さな人型を刻むことにした。刻み始めた日、僕の中に流れ込んできたのは父親たちの悲しみや怒り、憤りや子への愛おしさだった。2人の子の父親でもある僕はその想念に感応してしまい、物凄く息切れし、1体刻むごとにゲッソリと疲れていった。毎日その想念に身を置くうちに自分の意識が平和な日常から遊離し、家族と話が合わなくなっていた。このままこの行為を続けていたら自分が壊れてしまうかもしれない、作り続けることは無理かもしれないと思った。
刻み始めた当初、犠牲になった子供の数は30人ほどで、僕は頑張ればなんとかその数までたどり着けると思っていた。
ところが1週間後には50人、1カ月後には100人、半年後にはイスラエルの子数名を含み500人以上の子が犠牲になっていた。僕の人型を刻むスピードは子供たちが亡くなるスピードにとても追いつけず、僕は見果てぬ地平を見るように途方にくれた。僕は500体をひとつの目標にし、本来の自分の制作や発表の合間をぬって細々と刻む行為を続けた。
子供たちを刻み続ける中で僕の意識はいつしかガザの子から世界中の過酷な状況に置かれている子、原発事故のあった福島の子、平和な社会の陰で虐待に苦しんでいる子、そして今は大人になった僕ら自身の内で理不尽な我慢を強いられている子供の魂へと広がっていった。いつのまにか最初の1体を刻んでから1年半がたっていた。この個展の写真を撮るためにアトリエの床に並べた子供たちを数えたら550体を超えていた。一体いつ500体の峠を越えていたんだろう。ガザの子を刻むことから始まったこの行為は今も続いている。いつまで続くのか、この行為にどんな意味があるのか自分にもよくわからない。ただ1つだけ確かなことは、この1年半子供たちを刻み続けたことで、ガザのことを1日も忘れなかったということ。
安藤栄作/彫刻家
子供たちを刻んだ彫刻670体、他に「つばさ」、「歩く山脈」、「ギザギザ頭」、「宇宙のかたち」等21点出品します。
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